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リポートについて記事を書いているので書き方がわからない方には以下の記事をご覧ください。↓
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目次
課題文
縄文時代を時期区分し、各時期の特徴を説明しなさい。
ポイント・キーワード
時期区分が土器の形式分類によっていることを学び、自分の住む地域の縄文土器を具体的に挙げていくこと。各時期の絶対年代を書くこと。
6期区分・有舌尖頭器・海進・環状集落・環状列石
合格したリポート本文
縄文時代は,地域により差が生じるものの典型的な水田耕作が実施される弥生時代が始まるまでの約10,000年間である。その時代の特徴には,縄の文様がついている縄文土器の産出,竪穴住居の普及,旧石器時代と異なる貝塚の形態などがある。縄文時代はその時代に作られた縄文土器を「いつ」・「どこで」をもとにした型式分類を用い、約10,000年もある縄文時代を6つに時期区分する。今回、縄文時代を時期区分し、自分の住む地域の縄文土器を具体的に上げながら各時期の特徴を論じる。
縄文時代は先程にも書いたように6期区分で分けられており、AMS法という方法で測定して歴年代に補正した年代で表すと、草創期(約15,000~12,000年前)、早期(約12,000~7000年前)、前期(約7000~5500年前)、中期(約5500~4500年前)、後期(約4500~3300年前)晩期(約3300~2800年前)となる。地質時代で区分すると更新世末期(融氷期)から完新世にあたる。
草創期は,最終氷期最盛期の極寒より気候は改善していたが、依然として寒冷な気候が残っていた。草創期以前は季節ごとに住む場所を変え、一つの土地に留まり田や畑をたがやして作物を作る農業はしなかったが、草創期に入ると土器を作り定住が一般化することが増え、縄文時代との中間の時期ともいえる。縄文人は、土をこねて思いどおりに形を作り、火熱による化学変化を起こすことにより、より強度な容器を手に入れた。それにより、「煮る」などの調理や「貯蔵」も容易となった。土器の出現は、縄文人の食生活に大きな安定をもたらしたと考えられる。草創期中頃には基部に舌状の茎のあることから呼称される有舌尖頭器が出現し、用途は槍の先につける穂先と考えられている。東京都の井草遺跡の井草式土器が草創期の土器にあたる。
早期は一つの土地に留まり田や畑をたがやして作物を作る農業を始めた集落が出現するようになる。また気候が温暖化により海水面の高さが現在と比較すると2〜3メートル高かったとされる。「海進」という現象が進み、平野の谷に沿って海が入り込んだことで複雑な海岸が形成され、漁労が盛んになる要因となった。貝塚が内陸部でも発見されるのはこの海進が理由とされ、貝塚には貝以外にも魚の骨や土器も見つかり、当時の人々の生活ぶりが垣間見ることができる。神奈川県の鵜ヶ島台遺跡の鵜ヶ島台式土器が早期の土器を挙げられる。
前期は気候の温暖化もピークに達した。竪穴住居が集まる大きな集落が増え、大きな貯蔵穴が作られるなど食料が豊富にあった時期である。またこの頃にストーンサークルとも呼ばれる環状列石が見られる。イギリスなどにも見られ、日本の縄文時代の遺跡にもしばしば報告されている。環状列石中心部からこの日時計中心部を見た方向が夏至の日に太陽が沈む方向になっていたり,祭祀の場や墓として利用されたと考えられる。埼玉県の花積遺跡の花積下層式土器が前期の土器にあたる。
中期は関東・東北地方に集落が中央広場を中心とした環状集落が形成されるようになった。また土器の形態が発展し、これまでの深鉢や浅鉢土器に加えて、取っ手がついた吊手土器や壷形土器、さらに火焔土器などの非常に立体的な土器も現れた。また、文様についてもただの飾りというより、縄文人の世界観、神話、祈り、感謝、物語を表現したかのようなものが中期以降に増加した。さらに土偶・石棒も作られるようになり、マツリの道具として使われたと考えられる。神奈川県の勝坂遺跡の勝坂式土器が中期の土器にあたる。
後期・晩期は工芸的なものの発達、集落間の分業体制、祭祀的な遺構・遺物の増加、墓地に見られる社会の複雑化を示す兆候など、質的な面では発達が続いているのにもかかわらず、日本全体としては遺跡の数や規模が停滞どころか衰退している。気候が寒冷化し、食料も確保が難しくなり最終的にピーク時の半分以下の人口となってしまった。また土偶・石棒など西日本には希薄だった呪術的道具、土器における浅鉢や注口土器も東日本から西日本に広がっていった。大陸から渡ってきたとされるコメの存在も後期から確認されており、徐々に弥生時代へと移行されていったのである。後期以降の土器形式は一層多様化し、儀礼に用いられたようなものもあった。千葉県の加曽利貝塚の加曽利B式土器が後期で、荒海遺跡の荒海式土器が晩期の土器にあたる。 (文字数1819)
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参考文献
- 日本史リブレット 今村啓爾『縄文の豊かさと限界』山川出版社 2002/11/25 p6〜26、p84〜88
- http://www.town.miyashiro.lg.jp 宮代町
- http://ofgs.aori.u-tokyo.ac.jp 地質ニュース659号11 ―20頁2009年7月 縄文時代の環境,その1 -縄文人の生活と気候変動- 川幡穂高
- http://www.city.suginami.tokyo.jp 杉並区
- http://www.museum.city.nagoya.jp 名古屋博物館
- http://www.pref.akita.jp 鬼に金棒・土偶に石棒 平成25年出張出展 主催:秋田県埋蔵文化財センター 共催:秋田県立図書館
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