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2019-04-17

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課題文・キーワード

平安時代後期の彫刻と院政期の絵画について述べなさい。

ポイント・キーワード

平安時代後期は王朝時代とも呼ばれ、彫刻も絵画も和様化が進んだ時代である。彫刻では仏師定朝が登場し、貴族好みの仏像が流行した。絵画では院政期、装飾的な仏画や絵巻物が登場した。彫刻では仏師定朝が確立した技法と様式について述べ、絵画では代表的な作例を挙げて特徴的について述べること。

定朝・寄木造り・源氏物語絵巻

合格したリポート本文

 平安時代後期にもなると国風文化により彫刻、絵画などの和様化が進み、それに伴い様々な技法や様式が確立されていった。その特徴について論じる。

 平安時代前期より中国よりもたらされた文化、技術を取り入れ、日本的な文化に作り変えていく国風分化が起こった。かな文字の成立、和歌の台頭、やまと絵の登場だけでなく、仏像の顔の表情もまた日本独自の表現へと変化していったのである。彫刻の分野では、仏師の定朝(未詳~1057)の登場により中国にはない日本独自な仏像制作の技術が確立され、広く普及されていった。定朝により確立された技法は「寄木造り」と「割矧ぎ造り」である。材料の木材は木目に沿ってきれいでさらに容易に割ることができるヒノキが主な素材となる。割矧ぎ造りは一木造りからの課題であった乾燥が原因で収縮差による、表面に干割れが起こってしまうリスクを克服するために考案された技法である。一本の木によりほとんど完成された状態の仏像を楔で頭上から足底までを縦に前後の二つに割り、割った断面から内側を刳り抜きすることにより、均一な内刳りができる。その後に木目に合わせて再度接合する。こうすることで、表面の干割れのリスクを完全に克服することが可能になた。しかし、仏教の宗教の性質上の影響により、この技法は大胆で畏れ多いということもあり、しだいに敬遠されていった。次に寄木造りはいくつかの木材のパーツを組み合わせて完成させる技法であり、一木造りからの製作するうえで以前からの課題であった干割れのリスクを完全に克服することに成功し、さらに、合理的に巨大な像を短期間に完成させる時間短縮が可能となった。寄木造りの技法的な整いを見せるのが定朝の父親にあたる康尚(生没年不詳)が活動していた時代の末頃で定朝の代になって技法的な完成をみたものと思われる。宇治平等院鳳凰堂の阿弥陀如来は定朝がこの手法を完成させた代表的な例として、あまりにも有名な話である。そしてこの寄木造りという技法は日本彫刻史に残る画期的な技法であるとして現在でも高い評価を受けている。

 一方絵画の分野では、奈良時代から平安時代前期にかけてまだ中国の絵画表現の強い影響下にあったが、10世紀後半になると、中国から学んできた今までの技法や表現の中から、とりわけ日本的な心情になじむものが選択され、しだいに細やかな描写を目指したと想定される。その当時の代表的な作品として挙げられるのが「源氏物語絵巻」である。主に10世紀ころから14世紀ころにかけて制作されたものであり、紫式部(生没年不詳)が作者である。特徴は、各情景を画面にちりばめ、水流や霞などで区切りをしつつ全体の情景をする画面構成法という方法で物語の構成をしている。順に左へ左へと鑑賞している者も誘われながら同じように現場にたどりつくという感覚を味わうことができるもので、時間の経過が巧みに表現されている。屋根の描き方については、本格的な建物の全体像を描くことはなく、屋根・天井を取り払ってその中を見られるように描くという「吹抜屋台」という方法で描かれていることも多い。現実的にはありえないことだが、室内を描き出すために編み出された方法で、源氏物語絵巻はほとんどこの方法によって描かれている。また源氏物語絵巻は線描の上に彩色し、最後にまた線描で描き起こすという「作り絵」と呼ばれる技法により描かれている。生き生きとした動作は描き出すことはできないが、人物の心情を丹念に描き出すためにはこの方法がふさわしいとこの方法を採られた。さらに、「引目鉤鼻」といわれる表現法にしても丹念に細線が重ねられており、人物の心情が的確に表現されていることには驚いてしまう。また詞書に使われた料紙の装飾として、金銀の切箔、砂子、野毛などを各所に散らしたり、蝶などの型抜き、色の暈しなど非常に手の込んだものである。この絵巻が多くの人たちの最高の技術と創意工夫とセンスの結集されたものであることをあらためて感じる。

 中国からの文化や技術を吸収し、日本独自にアレンジを加える国風文化により日本は中国にはない独自の文化、技術を発展することに成功した。また平安貴族が仏教を深く信仰していたことにより、仏像、仏閣の建築が盛んにおこなわれ今我々が生きているこの時代でも現存しているのは先人たちの編み出された優れた技術のおかげである。(文字数1781)

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参考文献

  • 水野敬三郎『日本仏像史』美術出版社 2001-05-05 P.6~P.23
  • 辻惟雄『日本美術史』美術出版社 1991-10-15 P.75~P.82

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