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目次
課題文・キーワード
仏教公伝の意義と飛鳥・白鳳時代の仏像の特徴について作例を挙げて述べなさい。
ポイント・キーワード
6世紀の前半、仏教公伝によって百済から日本へと仏教美術が技術を伴ってもたらされ飛鳥時代には止利仏師によって仏像製作が始まった。白鳳時代には中国初唐の影響によって仏像表現において写美が芽生えた。飛鳥時代と白鳳時代の仏像の技法と様式の特徴について代表的な作例を挙げて述べること。
仏教公伝・止利仏師・法隆寺金堂釈迦三尊像・旧山田寺仏頭
合格したリポート本文
6世紀の前半に、仏教公伝によって朝鮮半島にある百済から日本へと仏教美術が技術とともにもたらされ、飛鳥時代には仏像制作が開始された。今回、仏教公伝の意義、そして飛鳥時代・白鳳文化の仏像の技法などの特徴について論じる。
仏像彫刻史では、飛鳥時代を6世紀の半ば頃(仏教公伝)から670年頃までと定義付けられ、百済からの仏像の公伝を伝えているが、中国の仏教文化の影響も強く受けている。飛鳥時代前期の仏像の特徴として挙げられることは、目の形は➀杏仁型➁上瞼と下瞼の縁線が同じ長さである。鼻の形は➀高く狭い➁小鼻のふくらみはない➂鼻の穴はしるし程度である。耳の形は➀長方形➁耳たぶは輪郭のみ➂穴はほとんど空いてないことである。口の形はアルカイック=スマイル(口の両端が少し上がりかすかな微笑みを浮かべる口元)が特徴である。また顔の形は面長で角張っていることが特徴である。
当時の仏像制作技術の技法では、金銅仏、木彫で主に制作されており、金銅仏は溶かした青銅を型に流し込んで造る鋳造像で、表面には、金メッキを施す。型には、ろう・土・木材などを使用し、金銅仏が最も流行した飛鳥時代から天平時代はろうが主に使われていた。土で原型を作り、その上にろうをかけ、彫刻を施す。その後にろう型を土で覆って焼くと、ろうのみが溶け落ちて、空洞が出来上がるので、そこに高熱で溶かした銅を流し込む。そして最後に冷却後に外側を壊すことで彫刻が現れるというものである。次に木彫という技法は材料の木材を彫刻して仏像を制作していくことである。当時主に仏像を制作していた技法は「一木造」である。一木造は奈良時代の末期から平安時代の前期に多く用いられ、芳香が強く、たとえ切れ味が悪い刃物であってもきれいに仕上げることができる利点を持つクスノキを素材にして文字通り一本の木材のみで完成させる方法である。当時日本には「霊木信仰」があり、仏教が日本に伝わる前から日本古来の宗教の神道により神木扱いされた「霊木」か、天の神様であった「雷」すなわち神様が降臨された神の宿る木「霹靂木」で製作しなければならないという非常に厳しい条件であったので、それだけ素材の入手条件が悪いだけに奈良時代までは金銅像、乾漆像など、他の種類の仏像に比べると数は少ない。
飛鳥時代の後の白鳳文化は、一般的に670年から710年(和同3年)の奈良時代の前期頃までの時代のことを指す。当時の天皇である聖武天皇が仏教を深く信仰していたことも影響し、聖武天皇が中心となって日本各地に仏舎が建設されるなど国家仏教としての広がりが地方各地にも見られるようになり、中国の隋の時代様式の影響も受け、仏像の童顔形で初々しく清新な表現へと特色が変化し始めた。白鳳時代に制作された仏像に挙げられる今日する特徴は、鼻の形は➀丸みを帯びる➁小鼻が強調される➂鼻の穴が浅い円形に彫られている事である。耳の形は➀全体的に丸みを帯びる➁耳たぶの穴も大きく開けられることである。口の形は全体が水平に近づき、顔の形も丸みを帯び短くなることが特徴である。さらに飛鳥時代にも共通することだが、肩の形はいかり肩が多く、姿勢も極端なそり身という特徴も挙げられる。
白鳳文化の時代になると、木彫像で扱われる素材もクスノキからヒノキへと変わっていった。ヒノキは芳香だけでなく光沢もあり、硬さも適当で加工も非常に容易であるが故に製作過程での狂いが原因で失敗してしまうことが少ないことがメリットとして挙げられる。しかし、一木造はデメリットも存在し、充分に木材を乾燥させておかないと、乾燥による収縮差から表面に干割れが起こってしまうことが最大のデメリットである。これらの技法で仏像制作された飛鳥時代、白鳳文化の主な代表的な仏像作品では、飛鳥時代では現時点で日本最古の仏像である「飛鳥大仏」、「法隆寺金堂釈迦三尊像」、「弥靭菩薩半跏像」などが、白鳳文化では、白鳳彫刻基準作となっている「旧山田寺仏頭」(興福寺)、「当麻寺金堂本尊弥靭仏坐像」、同じく「当麻寺金堂四天王像」などをあげられる。
飛鳥時代、白鳳文化の当時、百済からの仏教公伝により仏教を用い、律令制に基づく朝廷による中央政権的な政治体制へ移行していくことで、新たな国作りを目指し始めた時期であり、仏教も国家的な宗教へと変わっていった。また仏像の形、それに伴う制作技術も変化し、人々が強く信仰をしていたことが分かる。(文字数1808)
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参考文献
- ・水野敬三郎『日本仏像史』美術出版社 2001-05-05 P.6~P.23
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