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2019-04-17

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課題文・キーワード

30 年戦争とウェストファリア講和の意義

ポイント・キーワード

30 年戦争の発端とその後の拡大と終熄の経緯をまとめて,ウェストファリア講和が近代国際社会成立の上でどのような意義を持つか論じ,また,ヨーロッパ各国の動向について述べる。

30年戦争の発端、その拡大、ウェストファリア講和、ウェストファリア会議

本文

30年戦争の発端とその後の拡大と終熄の経緯をまとめて,ウェストファリア講和が近代国際社会成立の上でどのような意義を持つか述べ、また,ヨーロッパ各国の動向について述べながら、30年戦争とウェストファリア講和の意義を論じる。

近代は、国民国家の成立した時代であった。ヨーロッパでは宗教改革の結果、カトリック系の国家とプロテスタント系統の国家が対立し、この両者間には勢力の均衡した国際関係が成立した。16世紀以来各国は、民族主義的傾向を強めて相対立したが、この各国間の政治的対立は宗教的反目と相結んでいた。そこで各国の利害の衝突が、新旧両教の争いと結びついた宗教戦争時代と呼ばれる時代が出現するに至った。宗教戦争とはいっても十字軍のように宗教のための戦争ではなく、むしろ宗教が政治に利用された戦争だった。宗教改革時代、中央ヨーロッパにはドイツ帝国があったが、国内は分裂して君主諸侯の争いが絶えなかった。ドイツ皇帝はハプスブルグ家の出身であり、旧教徒であったが、その領土のボヘミアでは新教が広く普及していた。このボヘミアは、スラブ族の地方で民族的にもドイツ人と一致せず、教会への反抗が強い地方であった。ところが旧教徒のフェルディナンド一世の孫のフェルディナンド二世がボヘミア王になるに及んで旧救主義を強制したため、ボヘミア人の反乱が起こった。これが30年戦争の発端となり、戦争は1618年〜1648年までの30年の長きにわたることになった。

30年戦争は大きく4期に分類できる。第1期はボヘミア・プファルツ戦争である。ボヘミア国王から神聖ローマ皇帝に即位したフェルディナント2世は、プロテスタントの反乱鎮圧のために軍を派遣した。皇帝軍は1620年11月、プラハ近郊でおこなわれた白山の戦いで反乱軍を撃破。皇帝軍側にはスペイン軍やカトリック連盟軍も加わり、反乱軍はびこるボヘミア王国を1622年までに鎮圧する。第2期のデンマーク戦争では参戦勢力が増え、デンマーク王クリスチャン4世は北ドイツへの勢力拡大、バルト海および北海における覇権確立を狙っていた。荒れるボヘミア情勢に目をつけたデンマークは、プロテスタントの擁護を名目に戦争への介入を決めた。これに対し、皇帝フェルディナント2世はカトリック連盟軍に加え、アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタインを皇帝軍総司令官に任命し脇を固めた。デッサウの戦いやルッターの戦いではデンマーク軍に勝利し、1629年のリューベックの和約の締結で第2段階は終息した。第3期のスウェーデン戦争では、さらに参戦国が増え、スウェーデン王グスタフ=アドルフがフランスと同盟を結んで参戦。1631年9月には、ブライテンフェルトの戦いで皇帝軍に圧勝する。1632年のレヒ川の戦いでも勝利した。さらに11月にはリュッツェンで両軍が激突。戦闘自体はスウェーデン軍の勝利に終わったがこの戦いで国王アドルフが戦死する。アドルフ亡き後、スウェーデン女王となったのは当時6歳の王女クリスティーナである。第4期ではフランス・スウェーデン戦争は、幼い女王のもと、宰相オクセンシェルナが主導して南ドイツ諸侯との間で結んだハイルブロン同盟では、カトリックの国であるにもかかわらず、プロテスタント諸侯への影響力維持を狙うフランスが加わっている。スウェーデンは皇帝軍に対し、フランスはスペインに対して勝利を重ね、30年戦争の勝利者となった。そして、1648年10月にウェストファリア条約が締結され、30年戦争は収束した。

ウェストファリア講和により、ヨーロッパの勢力関係は確固としたものとなり、諸国家間に独立平等の観念が確立することになった。ここにヨーロッパ国際社会が形成される素地が出来、いわゆる近代国際社会が成立することになった。ウェストファリア会議はこのような意味において、外交史上重要な会議となった。これによって中世以来の国際関係は、編制換えが行われることになった。近世において成立した諸国の中ではイギリスとフランスの両国は依然大国の地位を保っていたが、特にドイツとイタリアの地位は変動した。ドイツ帝国は中世以来大国の地位を保っていたが、30年戦争の結果国内は荒廃し、しかもその統一は破れ、沈滞時代に入った。このためドイツ国家の発展は、イギリスやフランスよりも二世紀近くも遅れることになった。これに対しフランスは、宿敵ドイツを圧倒したことにより、ヨーロッパの覇権を握り、このフランスに対抗しうるのはイギリスのみになった。しかしながらともかくも中央ヨーロッパ内に勢力均衡が確立した意義は大きいといわなければならない。

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リポート参考文献

  • 日本大学通信教育部『外交史教科書』7〜11頁
  • 『国際政治史』岡義武(岩波書店2009年)
  • 『近代ヨーロッパ国際政治史』君塚直隆(有斐閣,2010 年)66〜84頁

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